バーチャルとリアル/幻想と現実 の狭間からアイを叫ぶけもの
I,アイ、あい、わたし、自分
自己を表現する言語はいくらでもある、しかしそれによって定義される自己というのは、いったいどういうものなのだろうか?
自己というものは最終的な観測者としてその自らの自己そのものしか存在しえず、第三者からの客観的観測は不可能である。
それこそ脳の生体ディジタル回路をバラバラに……違う、私はこういう話をしたいんじゃない。今私が語りたいことはそれではない。
Vtuberだ。
昨今、それこそ「のじゃおじ」の大ヒットから生まれたVtuberブームは僕たちに濁流となって襲い掛かった。
僕は、僕はその濁流に巻き込まれて、また正気を失ってしまった。
要は、自分もその綺麗な世界へと行きたいと思ってしまったのだ。
汚濁の底に住む人間がきれいなところへと羨望を抱いた結果というものは、何時だって残酷なものだ。
深夜にHMDをつけて、喋って、へたくそながら編集して、投稿して
そして現実があった。
当たり前だ、やれば幸福になる手段なんてない
結局のところ、自分の作り出したものがいいか悪いかの世界なのだ。
わかっていたのに、何回もそれを味わってきた、いや僕は味わってなんかいない
怖かったのだ
自分が作ったものの価値が世界に断定されてしまうことが
無責任な万能感におぼれていたかった
自分はもっとできるはずだと
自分の才能はこんなものではないと
自分は 自分は 自分は
歪んだオタクの誇大妄想、そして誇大妄想が肥大化し、創作者と交流をして
自分もそういう人間だと思い込んでいたかった
…10年前、僕はジャンルの中に飛び込むことをためらった
そして、後悔した
でも、10年経って、オリジンの人と出会えた。それは後悔していない
醜態さらしたけど、それでもよかった、よかったんだ。
何時ものように、一つのテーマでしゃべり続けることができない。
話は逸れ、主題は見失っていく。
どうしようもできない、狂った頭で生きていくしかないんだ
Vtuberやってます、情報はtwitterから
よろしくおねがいします。