かつどうにっきとびぼーろく

落書きとかコスプレとかゲームとかする人の適当なブログ

解体屋さとり 序章

.序章
 幻想郷の片隅で倒れていたその女は、巫女によって発見され、永遠亭へと送られたその後も、脈絡のない言葉を発するばかりであった。
 地霊殿の女主《おんなあるじ》であった古明地さとりの、元来持ち合わせてたはずの知性ある佇まいはその姿には欠片も残されておらず、壊れたラジオ・カセットレコーダーのように既存のコンテキストをカット・アップした言葉を再生するばかりであった。
 彼女自身、自らが何を口にしているかを理解不能であるらしきことがわかると、彼女は永遠亭の隔離病棟へと収監されることになった。
彼女の言葉に出典が存在することに気づいたのは永遠亭の主、蓬莱山輝夜であった。
彼女が一息に吐き出す言葉の羅列の中には、明確な方向性―道筋ともいえるものが存在しており、その傾向は基本的な哲学思考から宗教、神話、文学、雑学、エロティック・フィクションと多岐にわたり、あまりにも膨大な、妖怪ゆえの知識量が乱雑にばらまかれ、そこに語感的連結をもたらしているという事実が存在した。
まったくもって、意味を見出そうとすることそのものがナンセンスともいえる、無意味なコミュニケイションであった、永遠を生きる姫のみが、その無意味なコミュニケイトを楽しんだ。
永遠亭の隔離病棟へと移されてから、彼女は01号と呼ばれた。「特別収容重要患者」永遠亭において、初めての隔離病棟患者。彼女自身の名前ははっきりしていたが、彼女自身の口から、その名がかたられることはついぞなかったためである。
彼女は完全にディスコミュニケイションそのものであった。少なくとも、永遠亭の中心人物たる基幹医師《メイン・ドクター》、八意永琳を除いては。
古明地さとりは、解体屋……デプログラマーだったのである。
 しかし彼女は、自らの名前すら思い出すことがができなかった。いや、自分という存在の外枠、自我の形状すら不明確となったのであった。
彼女の脳《システム》の中には、他者の言語が渦巻いていたのである。自らが何か言葉を発しようとするたびに、近似値たる類型言語、似通ったコンテクストが脳内のシナプス発火により強制的に引用され、彼女の言語中枢《トーキング・システム》を強奪《ジャック》した。
洗脳外しのプロである洗濯屋《デプログラマー》が敗北したときにたどる道筋は一つだ。洗脳の達人である洗濯屋《ウォッシャー》によって、その脳の機能を完膚なきまでに破壊されるのである。敗北したタイミングで停止《システムダウン》した脳《システム》に奥深くまで侵入《ダイブ》され、完膚なきまでにハッキングされ自我を破壊される。
彼女は敗北したのであった。まるでガンマンの一騎打ちのような、洗脳の決闘に。

 

 

 

 

解体屋外伝のパロ小説を書くことにしました、はい。

 

さつきりんのぽえむ

*こんな感じの絵本を出したいなという妄想です*

 

せまいせまいげんそうのくに
ひろいひろいはこにわせかい


あかいやかたがありました おおきなつばさのきゅうけつき

しずかなおやしきありました ぼうれいたちのくらすばしょ

ひろいおやしきありました むげんにつづくほしのうみ

はなびらとびかうへいげんに おおきなたいようとおにんぎょう

たかいおやまがありました びゅうびゅううずまくうそのかぜ

おやまのてっぺん、ふしぎなやしろ そとのせかいのらいほうしゃ

たかいたかいてんのうえ てんにんさまとりゅうぎょさま

ふかいふかーいちかのそこ おにたちくらすまちなみが

だいちのそこのそのおくで ぺっととさとりはいきています

じんようつどうまちはずれ おおきなおてらがありまして

そのうらぼちのそのおくに せんにんさまが、ねむってた

ぐるっとねじれたそらのうえ ひっくりかえったいっすんぼうし

いろんなこたちがいきていて まいやどうどうおおさわぎ

そんなせかいのはしっこに あかいみこさんたっていた


そんなすてきな きれいなせかい
そんなすてきな ちっちゃなせかい
そんなせかいに わたしはいない
わたしがいなくて あのこはいるの
そんなのぜったいゆるせない わたしもあそこであそびたい


あかいやかたがありました くびからさいたあかいはな

しずかなおやしきありました とけてとろけてただのゆき

ひろいおやしきありました にどともどれぬめいきゅうのおく

はなびらとびかうへいげんに しずんだたいよう、うごかぬひとがた

たかいおやまがありました くさきいっぽんはえもせず

おやまのてっぺん、ふしぎなやしろ かみののこりがかけらもなく

たかいたかいてんのうえ もものきすべてかれはてて

ふかいふかーいちかのそこ くらいくらーいはいきょだけ

だいちのそこのそのおくで したいばかりがころがって

じんようつどうまちはずれ のこるはただのあれのはら

そのうらぼちのそのおくに ことさらおおきなせんにんのはか

ぐるっとねじれたそらのうえ おちてつぶれたいっすんぼうし


だれもかれもがうごかない しずまりかえったおかのうえ
わたしあのこにこえかけた おにさんこちら、てのなるほうへ
けれどかのじょはうごかない すんすんないてうごかない
わたしちらりとてをみたの あのことおなじあかいろのてを
あのこのおててはしろくてすてき わたしのおてて、まっかっか
あれれなんだかおかしいぞ あかいおててはおなじいろ?
あのこのあかはかがやいて わたしのあかはくろずんで

わたしようやくきづいたの わたしとってもわるいこで
かのじょはないてうごかない わたしもなみだがこぼれたの
だれかわたしをすくってよ わるいわたしをすくってよ
どうすればいいかわからない どうしたらいいのおしえてよ

そしたらばりんとおそらがわれて そらからおりるおんなのこ
ひとりはちゃいろいわんぴーす ひとりはあかしろちゅうかふく
「あなたにできることはただひとつ」 『たったひとつしかありません』
めのまえぶらんとおりてきた くびつるためのわっかがひとつ

ごめんごめんねれいむちゃん わたしはとってもわるいこです
ゆるしてくれるといいけれど たぶんぜったいむりだから
わたしはここでさよならです いつかせかいがおわったら
そのときになら あえるかな

          **がちゃん**

このお話はこれでお終い、これが一つの彼女の形。

人生、累計、そしてたかしくん

タイトルに意味はない、ただ最近こういった感じの「なんとなく詩的に聞こえる気がするテキスト」にハマっている。

 

twitterでこういった感じのふわふわしたテキストを最近見る機会が増えて、実のところ読んでみてもぱっと意味はわからないんだけどなんとなく心にストンと落ちる、その感覚がとても気に入ってしまったので、最近は僕自身もそういったことをモノマネしたりするようになってしまった、というか自分でも思うけど人の猿真似をし過ぎである。催眠にしろ何にしろ、僕は猿真似が好きなのだ、正にサーフィス、うわっ面。

話が逸れた、というか主題も何もなしに書き始めたテキストなのでそれる軸も無いのだけれど、まぁいいのだ、僕のテキストは意味のないインターネッツに漂うマルドロールの歌にでもなってくれればいいと思う。意味のない世界に漂う、意味のないテキスト、世界各国の作家の足元にも及ばない、不完全なデュープ。それをただつらつらと吐き出す僕の灰色の脳細胞。

あー、ダメだ、なんか真面目っぽいこと書こうと思ったけど今日は頭が回ってない、というか明日もあさっても回る頭は持ってないだろう、適当にいつも通り適当に終わる。適当。

 

2016年、行く年

早いもので、今年ももう終わろうとしている。

僕はまぁ相も変わらず毎日twitterでモラトリアムにおける貴重な時間を只々浪費するという時セレブな行いを続けていたが、そんな僕であっても今年はなんだかんだで激動の一年だったなぁと思う。twitterのフォロワーも知らないうちに700人だ、昔の俺ざまぁみろ。

新たな繋がりもポポンと生まれて、この繋がりを手放さず、もっともっと太く大きくしていきたいなぁと思っている。まぁ人脈は力なりとかそんな感じの言葉もあることだしね

来年には(無事大学を卒業できれば)社会人、今のような毎月終わりには財布に100円しか無いと言うような貧困状態にはならないことを願いつつ、頑張っていきたいなぁと思う。最後になったが、今年お世話になった方々には本当に感謝している。ありがとうございます、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

なんてね。

催眠なお話、もとい最近のエモーショナルな心の動き

  前回催眠関連の記事を書いてから半年ほどたったので、また催眠関連の記事を書こうと 思う。

 実をいうと、最近は少し催眠から離れていた。なんだろう、理由はわかんないけど、その催眠をやってる人たちと通話するタイミングを失ってしまったというか、僕自身アルバイトや就活やらで不安定になっていて、あんまりやりたくなかったってところもある。(まぁ、特定の人物に声を掛けられて、その人に頼まれたから?受動的に誘導して落として性感入れてみたいな、雑なムーヴはちょくちょくやってたわけなんだけど。)ここまでだと、半年前に書いた通り「半年後の自分が催眠から離れてるのか調子に乗ってやっているのか~」ってポイントに「あぁ僕は催眠に飽きてやめちゃったよ」って結論を出して終わりって感じなんだけど、数日前に転機が訪れた。

 もうぶっちゃけてしまうんだけど、前の記事でも書いた「亡くなってしまった知り合い」というのは僕の催眠についての師匠の一人で、その人が居なかったら僕は催眠を掛ける側にはなっていなかったわけなんですよ。そしてその人が亡くなった、って報を聞いたときに、何故かはわからないけどものすごいスピードで催眠に関する記憶が頭の中を駆けていって、直後僕は「このままでいいのか」って感情にとらわれた。なんだか、僕がこのまま教えてもらった技術をそのまま使いもせずに蓋をして心の押し入れの奥底にしまい込んでしまったら、その人と僕との僅かではあるものの確実にそこに在った関係を捨て去ってしまうような気がして、中二っぽい言い方をすると「あぁ…駄目だ…あの人から受け継いだこの―力―を…無駄にしてはいけないい…!」ってなった。ある意味何かにとりつかれたのかもしれない。

 んでそしたら、丁度タイミングよく相互フォローのお絵かきマンのまのれあ君が「催眠ってちょっと気になるんだよねー」って言っていた。僕はもう、その時は突っ走る感情に任せて、気づけば「僕が掛けるよ」って言っていた。そして彼に催眠を掛けて、彼がその体験レポートをイラストに起こしてtwitterに投げたら、何故かはわからないけど爆発的にrtされて、彼に催眠を掛けた人ってことでおこぼれ的に僕の名前まで広まってしまった、モブキャラが人気キャラになってしまった様な気分がして、正直今ちょっと焦ってる。

 そしてまぁ何日か連続する形で催眠をやって、僕の方の感情が暴走特急状態から、やっと定期巡航便ぐらいにまで戻って落ち着いた感じになった。そして今なんで自分が催眠をやっているのか、って言うことを改めて考えて、その結果自分なりの理由を見つけることができた。恥ずかしいので詳細は書かないけど。少なくとも、自分の心の欠落部分を埋めるためにやってるわけじゃない、って言うことを認識したというか、自分の感情の動きと心の形を正確にまた把握することができたというか、まぁそんな感じのエモっぽいノリを再確認できたわけですね。

 だらだらとこう書いてるといつまでも書き続けられそうな感じもあるんだけど、適当なところでやめておかないと、ただでさえ読みにくい悪文がどんどんひどくなってくのでこの辺でやめておこう。とりあえず追加で言っておかなきゃいけないこととしては「僕は催眠を教える能力は無いので他の人に師事しに行ってね」ってことぐらいですかネ。

 

気だるげ催眠スポットざり屋の定休日は店主の気分次第です、はい、うん、なんだこれ

 

 

哀しみ

つい先日、知り合いが亡くなったとの報を受けた。

その報を受けた時、僕は学校でちょうど帰るときだった。心がかき乱される感じがして、穴が開いた気分だった。

でも泣くのは違う感じがして、原付に飛び乗って、僕は家路についたのだけど、途中でどうしても耐えられなくなってしまって、道の端に原付を止めて、声を上げて泣いた。

 

人生はままならないことの連続で、どうしようもないことがいっぱいある。ゲームみたいにタイムラインを逆行することなんでできやしない。もしあの時ああしていればなんて考えは何の意味もないんだ。でも考えずにはいられない、それが僕という人間で、僕の生き方だから。多分僕は後ろを向いて後ろ歩きで生きてゆくんだろう。

まるで浅野いにおの漫画みたいだ、実際、今日僕は朝の太陽の光を見て「あぁ、綺麗だな」なんて思った。世界の終わりと夜明け前、素晴らしい世界、辛くてどうしようもないのに、時折世界は美しい顔を覗かせてきやがる。ちくしょう、ちくしょう。

僕はあの人が居ない世界で、今日も生きていく。どうかあの人の次の生が幸福であることを願ってやまない。またいつか、何処かで会いましょう。

 

Undertaleの話

最近買ってプレイしたゲーム「Undertale」のお話

基本的にネタバレ一直線だから、興味があるけどまだやってない人は素直に買ってプレイしたほうが良い

Steam:Undertale

以下、百里先↓

これぐらいでいいかな。

Undertaleを知ったのはtwitterとAutoMatonってサイトのレビュー記事だったんだけど、みんなが「ネタバレ厳禁」ってところをしっかり守ってくれてたおかげもあってピュアな気持ちでプレイすることができた。

特に好きなのは「Undyne戦」と「Asgore戦」で、Nルートにおけるこの二つの戦いは、分かり合えない者同士の悲しさが演出としてかみ合ってて素晴らしかったと思ってる。Undyneを倒した後にPapyrusから電話がかかってきた時とか泣いたよね。正当RPGって感じがすっごいした。Asgore戦は戦闘突入時の悲しげな表情から、決意を固めて槍を振り上げて「MERCY」を破壊する演出は今までやったゲームの中でもトップクラスだと思う。

Flowy戦は…アレは度肝を抜かれたけど、実は演出としてはそこまで好きでもなかったりする。ラスボスとしての舞台装置感があるために、そこまでどっぷりといけなかった感じ、SAVE&LODE嬲り殺しは絶望しかけたけど。

Nルートをクリアしてちょっと抜け殻になってから、直ぐにPルートを始めて、またぼろぼろと泣いた。Nルートで倒してしまった(殺してしまった)キャラクター全て生き残らせることができるっていう事実に崩れ落ちそうになったし、キャラクターたちが見せる行動がとても愛おしかった。

 

Gルートは現在プレイ中だけど、まだまだ序盤だから何が起こるのかわからなくて少しドキドキしている、そしてこの行動はFlowyが「こちら側」に語り掛けてきた思惑通りであって…とか思い始めるとまたややこしくなってメタフィクション

 

色んな人が言う「マザー的側面」というよりも僕個人としては「moon」との共通点の方を強く感じつつ、これは反moonゲームだな、と僕は思った。

tiwtterの方でも言って、かつさっきのAutoMatonサイトの受け売りだけどundertaleは「現実からゲームに帰る」ゲームなんだなと、moonは「ゲームから現実に帰る」ゲームで、両者は実に似通っていて、愛に満ちていて、メタフィクショナル構造を持って居ながら向いている方向が真逆なのである。でも、最後にプレイヤーがとる行動は恐らくとても似ている。

moonでは「NO」を選び、現実に帰った。undertaleでは選択肢こそないものの、Pエンドの後、再び起動したプレイヤーはFlowyの言葉を受けて、ゲームを閉じて、その世界をそのままの姿で続けていさせようとするだろう。そしてそこに在るのはゲームに対する愛に他ならないのではないだろうか。向ている方向はお互いに真逆だけど、プレイヤーに伝わる者はどこか似ているような、現代によみがえった新たな形のmoon、それがUndertaleというゲームなのかもしれない。

とっぴんぱらりの、ぷう。