Undertaleの話
最近買ってプレイしたゲーム「Undertale」のお話
基本的にネタバレ一直線だから、興味があるけどまだやってない人は素直に買ってプレイしたほうが良い
以下、百里先↓
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これぐらいでいいかな。
Undertaleを知ったのはtwitterとAutoMatonってサイトのレビュー記事だったんだけど、みんなが「ネタバレ厳禁」ってところをしっかり守ってくれてたおかげもあってピュアな気持ちでプレイすることができた。
特に好きなのは「Undyne戦」と「Asgore戦」で、Nルートにおけるこの二つの戦いは、分かり合えない者同士の悲しさが演出としてかみ合ってて素晴らしかったと思ってる。Undyneを倒した後にPapyrusから電話がかかってきた時とか泣いたよね。正当RPGって感じがすっごいした。Asgore戦は戦闘突入時の悲しげな表情から、決意を固めて槍を振り上げて「MERCY」を破壊する演出は今までやったゲームの中でもトップクラスだと思う。
Flowy戦は…アレは度肝を抜かれたけど、実は演出としてはそこまで好きでもなかったりする。ラスボスとしての舞台装置感があるために、そこまでどっぷりといけなかった感じ、SAVE&LODE嬲り殺しは絶望しかけたけど。
Nルートをクリアしてちょっと抜け殻になってから、直ぐにPルートを始めて、またぼろぼろと泣いた。Nルートで倒してしまった(殺してしまった)キャラクター全て生き残らせることができるっていう事実に崩れ落ちそうになったし、キャラクターたちが見せる行動がとても愛おしかった。
Gルートは現在プレイ中だけど、まだまだ序盤だから何が起こるのかわからなくて少しドキドキしている、そしてこの行動はFlowyが「こちら側」に語り掛けてきた思惑通りであって…とか思い始めるとまたややこしくなってメタフィクション。
色んな人が言う「マザー的側面」というよりも僕個人としては「moon」との共通点の方を強く感じつつ、これは反moonゲームだな、と僕は思った。
tiwtterの方でも言って、かつさっきのAutoMatonサイトの受け売りだけどundertaleは「現実からゲームに帰る」ゲームなんだなと、moonは「ゲームから現実に帰る」ゲームで、両者は実に似通っていて、愛に満ちていて、メタフィクショナル構造を持って居ながら向いている方向が真逆なのである。でも、最後にプレイヤーがとる行動は恐らくとても似ている。
moonでは「NO」を選び、現実に帰った。undertaleでは選択肢こそないものの、Pエンドの後、再び起動したプレイヤーはFlowyの言葉を受けて、ゲームを閉じて、その世界をそのままの姿で続けていさせようとするだろう。そしてそこに在るのはゲームに対する愛に他ならないのではないだろうか。向ている方向はお互いに真逆だけど、プレイヤーに伝わる者はどこか似ているような、現代によみがえった新たな形のmoon、それがUndertaleというゲームなのかもしれない。
とっぴんぱらりの、ぷう。