かつどうにっきとびぼーろく

落書きとかコスプレとかゲームとかする人の適当なブログ

創作のはなし、嫉妬のはなし

付き合いの長いやつがブログを書いてたので触発されて僕も久しぶりの更新をする。

僕は、東方二次創作界隈にずっといた、いたつもりだった
芸大にだって行った、きっと何か作れると思っていった
でも、冷静に考えてみれば東方二次創作として作っていたつもりだったものは、この世に何一つとして形となって残ってなかった。
大学で作ったものも、何も残らなかった、残ったのは「芸大に行った」っていうクソみたいなプライドだった。

むしろ「芸大に行ったのにその程度なんですね」って言われるのが怖くなって、余計に何もできなくなった。
ゴミになった、僕の活動はゴミだった。

結局のところ、僕は何もしてなかったのと同じなのだ
10年近くをゴミ箱にぶち込み続けていただけだった。

でも、少ないながら僕の絵を好きだと言ってくれた人もいた
嬉しかった。でもそれに応えられない自分に余計に嫌気がさした。

でも、まだペンを捨てることができずにいる。
まだ何か、何か出せるんじゃないかって思ってしまっている。どうせ何も出て来やしないのに

…VRChatに、環境課って団体がある

そこは割とクローズドな団体なんだけど、時折滅茶苦茶かっこいいものを平然と出してくる。

凄いものが出てくるのはあたりまえだ、僕なんかよりもずっと長い時間、創作に打ち込み続けてきた人たちが集まってる団体だ
その証拠に、話を聞く人聞く人みんな「環境課はRP団体じゃなくて創作者団体だから」って言う

僕はそれに勝ちたい、勝ちたいってよく言ってる
バカがほざいてるわwって多分周りには思われてるんだろうなって思ってる。
でも、勝ちたいって思ってしまう。

自分が作れない凄いものを見せられて、超えたいって思うのは当然じゃないか
凄いものを超えられたら、嬉しいじゃないか

そう思うけれど、振り返ってみると「何も作れなかった自分の道筋」が転がってる
たぶん、彼らはいろんなものを作って、完成させてきたんだろうと思う

完成させてきた人間たちと、何一つ完成させれなかった僕

どうしようもない、言いたくないけど、言われなくたって分かってる。
言わないでくれ、僕の精いっぱいの強がりを否定しないでくれ

書いてて泣きそうになってきた、もうやめる。

virtualに溺れる

年が明けた。

今年の年末年始はいろいろ忙しくて、かつ楽しくて去年を振り返る暇が無かったので、今更ながらしておこうと思う。明日から仕事だし

 

タイトル通り、完全に去年はバーチャルにおぼれた一年だった。

「あちら側」の世界に向かうたびに現実の自分が希釈されていく感覚、人と会話するうえでは「現実とvirtualで纏う雰囲気が変わらない」というところを強調し、現実からの地続き感を出しているが実際のところは向こう側に進めば進むほど現実から浮遊している感覚がある。

 

twitterでリプライ合戦したり、ディスコ―ドで通話でバシバシ話すのと何が違うのだろう、所詮は可愛いアバターを身にまとったオタクどもが同じことをしているだけのはずなのに、virtualになった瞬間バグり散らかしている、自分も、世界も。

 

去年、自分は何回もメンタルぶっ壊しながらバーチャル世界でいろいろやって…いや、やってないかもしれない、結局のところ大言壮語で喚き散らしただけで、実際のところは何もやっていない気がしてきた。

 

イメェジだけが先行して、イメェジだけで定義される、人間はイメェジで構成される、イメェジによって構成されたvirtual上の人格、篠山催子、それは本当に自分なのか?

 

正直なところ、何もわからないというのが結論というか、まとめられるほどの事でもないんだよな、以上に加速した一年だったというあいまいな感覚だけが手元に残っている。

この2019年も同じように加速するのだろうか、俺は俺でいられるのか、俺はいったい何者なのか、何もわからず、今後わかることもないのかもしれない、でも、わからないなりにやっていくしかない。止まってしまわないように、足が崩れ切らないように。

 

ヤってイきましょうという話だ。

なんだこれ、わかんねぇ、今年もよろしく。f:id:arazari:20190106105026p:plain

青に狂う

君はクマ雛嬢を知っているか。

いや知らなくてもいい、ただ僕は、彼女を、クマ雛というキャラクターをずっと追い続けてきた。

2010年の煮えるような時代にとらわれた僕はずっと、ずっと彼女の幻影を見つめてきた。

何時しか気づいた時には、その地平線には僕しか立っていなくて、ただ僕一人が狂ったように踊り続けていた。

ずっと…ずっと踊り続けていた気がする、誰もいないところで、舞台の上ですらないどこかで、離れていった者たちへの嘲笑を高らかに謳いながら。

 

言語化してしまうとどうしてもチープで、つまらない言葉にしかならない僕の妄執は、何時しか僕のアイデンティティとなって、さらに強く2010年に僕をつなぎ留めてしまった。

 

そんなくさびが、呪いとなっていた妄執が、つい先日変質した。

僕は手に入れてしまった。「オリジナル」から受け渡されたそれは…それを受け取った僕は…たぶん、もう、戻ることはできない。

おそらく、今後継続して彼女を、彼女のBootlegを生み出していくのは僕なのだ。

今までの狂乱は持たざる者としての妄執だった、でもこれからは違うんだ。

持ったものとして、こう…僕が生まなければもう生まれない気がするのだ、たとえそれがBootlegであったとしても、僕は生み続けなければならない。そう思う。

青に狂え、青で狂え、青く、蒼く。

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黄金の週、東の祭典

GWが終わりました。

GWの後半、ウルトラ強行軍で京都弾丸突撃身内旅行の後例大祭に着弾するというアホな日程でぶっ飛んできた。

 

まぁ身内旅行の方はね、中学時代のオタク連れ連中と伏見登頂したりとまぁよくある楽しい旅行でアレだ、そんなに書くことは無い、楽しかったね。

 

問題は例大祭

前日、アキバのHEYとかいうクソヤバ・オタク・シューティングスポットに飛んだ俺は精神がバグった。ゲーセンの喧騒、混ざるSEとレバーの音、その中で聞こえるバトルガレッガのウルトラかっけーBGM、奥に進むと存在するオリジナル・ダライアスダライアスⅡの巨大スクリーン、ヤバすぎてこの辺記憶があいまいだ。ひたすら「STGは死んでない…生きていた……生きているんだ………」とつぶやいていた気がする、ヤバい奴だ。

そして例大祭、色々Twitterでお世話になっている人とかに会って、買いたい本買って、ちょっとグロッキーになりつつあっちこっち走り回って、正直ホールの移動めんどくせぇな畜生しばくぞとか思いながらもいろんな人と喋れた、コスとかしてなかったにも拘らず会えてよかったとか言ってもらえて承認ポイントがチーンみたいな感じのアレ、本当にもう感謝しかない。ありがとう。

普段人類へと雑に憎悪を膨らませているけれど、こういう機会があるとなんかこうワーッとなって、幸福を感じてしまうというか、単純な人間だなと自分でも思う。アフターの方もいろいろと色々な話があるがそれを言い始めるときりがないので本当にもう楽しかったと語彙力のないオタクという感じの喋りしかできない、とにかく楽しかった。

何か知らんうちに迷惑かけてたらすまんかった、くそ楽しかったです。

これにて俺は例大祭を終える。

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コミケ受かってたら本頑張るからヨロシクね。あらざりでした。

 

 

 

バーチャルとリアル/幻想と現実 の狭間からアイを叫ぶけもの

I,アイ、あい、わたし、自分

自己を表現する言語はいくらでもある、しかしそれによって定義される自己というのは、いったいどういうものなのだろうか?

自己というものは最終的な観測者としてその自らの自己そのものしか存在しえず、第三者からの客観的観測は不可能である。

それこそ脳の生体ディジタル回路をバラバラに……違う、私はこういう話をしたいんじゃない。今私が語りたいことはそれではない。

 

Vtuberだ。

昨今、それこそ「のじゃおじ」の大ヒットから生まれたVtuberブームは僕たちに濁流となって襲い掛かった。

僕は、僕はその濁流に巻き込まれて、また正気を失ってしまった。

要は、自分もその綺麗な世界へと行きたいと思ってしまったのだ。

 

汚濁の底に住む人間がきれいなところへと羨望を抱いた結果というものは、何時だって残酷なものだ。

深夜にHMDをつけて、喋って、へたくそながら編集して、投稿して

そして現実があった。

当たり前だ、やれば幸福になる手段なんてない

結局のところ、自分の作り出したものがいいか悪いかの世界なのだ。

 

わかっていたのに、何回もそれを味わってきた、いや僕は味わってなんかいない

怖かったのだ

自分が作ったものの価値が世界に断定されてしまうことが

無責任な万能感におぼれていたかった

自分はもっとできるはずだと

自分の才能はこんなものではないと

自分は 自分は 自分は

歪んだオタクの誇大妄想、そして誇大妄想が肥大化し、創作者と交流をして

自分もそういう人間だと思い込んでいたかった

 

…10年前、僕はジャンルの中に飛び込むことをためらった

そして、後悔した

でも、10年経って、オリジンの人と出会えた。それは後悔していない

醜態さらしたけど、それでもよかった、よかったんだ。

 

何時ものように、一つのテーマでしゃべり続けることができない。

話は逸れ、主題は見失っていく。

どうしようもできない、狂った頭で生きていくしかないんだ

Vtuberやってます、情報はtwitterから

よろしくおねがいします。

 

 

最高速のエモーショナル

はい、はい、はい

とりあえずプレイした直後の最高に精神がエモいタイミングで書いているので文章的な問題点は全力でスルーしてください、お願いします。

というわけで前々からtwitterで名前を見かけていた(というか一人がひたすらに推していた)ゲーム『詩歌を嗜む』のプレイレビューというか感想的なアレです、よろしく。

 

www10.atwiki.jp

 

正直、僕はそんなにノベルゲーもしないし、ともすればツクール製のゲームなんてほとんど触ってないから正直ナメてたんですよ、スクショはガッツリ下ネタ出てるし、キャラクターの顔グラもクセがある感じだし、期待値はちょっと低めだったわけなんですがなーにが期待値低めだ、過去の自分をぶん殴って正座させて延々説教したい。

ほんともう何が素晴らしいって各キャラクターの信念というか信条というかそういうところがきちっと定まってて、みんな「生きてる」んですよ、ほんともう。

所謂「見るゲー」なので作中のシーンを語ってしまうことがネタバレになってしまうのが本当に悔しい、各デバイスの名前の意味とか、そういうところもしっかりと意味があってこう、なんていうか、ほんと

ダメだ言語的にまとまりがない、とにかくすごくよかったんだ、この散文を書いている最中も目が潤んでいる。メタ構造とかそういう奇抜な手を使わずに直接的にシナリオでぶん殴りに着て、そのパンチをモロに食らった感じだ、とにかくよかったんだ、うん、というわけでみんなやってくれ、プレゼンヘタクソオタクかよ畜生、くそう。

広告消し的なアレ

久しぶりにブログ開いたら広告出てんじゃんやべーじゃん、というかこのブログの存在を忘れてるじゃんということで近況報告おば。まぁここ見る人って大半ツイッター経由だしわざわざやる意味は薄いんだけど、一応ね

 

・カメラにはまる

はい、ミノルタのジャンクから始まりミノルタの方のα7、ソニーα55とAマウント中心で突き進んでます。ヤバいぐらい楽しい。

というか先日の紅楼夢がダメでしたね、完全に精神がぶっ飛んで明後日の方向にエクステンションしてしまった。ツイッター上の付き合いがリアルの状態として見えるあの瞬間がすげぇエクスタしい、自分が人間が好きなんだなって実感しますねー自称エルダードラゴンのくせにね。

何がヤバいってとった写真をレイヤーさんに渡してそれがRTされてる瞬間、ほんとヤバい、裏の承認欲求がモリモリ満たされる感じがして危険だ。

今日も岡山市街に出て28の単焦点レンズを買ってしまった、モリモリ撮ってゆきたい、モリモリ。

 

社畜

ここ一、二か月毎日11時付近のド社畜やってました。

おかげで最近は毎日二時間残業で帰れてます。長時間労働ほんまクソ、Japan滅べ。

しかし金は寄越せ、5000兆円くれ、頼む。

 

ぶっちゃけその程度しかないんですけどね、お絵描きもろくにしてねーしエモいことが何にもねぇ、ほんとこないだのイベントが個人的な激エモイベントだったぐらいか

11/18日に岡山でクラブイベントがあるらしいので会社の飲み会が終わり次第突っ込んでやろうかなとか思ってるけどンなことしたらたぶんぶっ倒れる気もする、まぁぶっ倒れるぐらいの精神で行かなきゃ人生楽しくないのかもしれないけど。

 

とまぁそんな感じです、とりあえずあと11月いっぱいド社畜して金ガッポリもらって冬コミに突貫するつもりなのでその時はよろしく、んでは。